死後は幸せな世界?
よく、温泉に行ってのんびりお湯に浸かっている時、
聞こえてくる〝極楽、極楽〟と言う言葉。
極楽は天国みたいなイメージで、この世のような嫌な出来事は一つもなく
毎日幸せいっぱいに過ごすことができる場所のように思っているからでしょうか。
極楽は仏様の世界なので、私たち人間とは無縁で、
生きている時に善いことをたくさんすれば、死んだ後、極楽に行けて、
悪いことをたくさんしていると地獄に堕ちる、というのは
誰に教えられたわけでもないけれど、何となく子どもの頃からそう信じて
いるんですよね。
そう考えると、死後の世界を善くするか悪くするかを決めるために、
現在があるみたいに思えてきます。
あくまでも幸せがやってくるのは死んだ後という感じもします。
でも実際は、人間として生まれてきたのにはちゃんと理由があって、
生きている目的と同じ、幸せになるためなんですよね。
親鸞聖人は、生きている今、変わらない幸せになれることを
『平生業成(へいぜいごうじょう)』と教えられています。
平生とは生きている今、業とは人生の大事業ということで、
生きる目的のことです。
成は完成するということです。
朝晩のお勤めで拝読する、正信偈の冒頭にも
帰命無量寿如来(無量寿如来に帰命し)
南無不可思議光(不可思議光に南無したてまつる)
と記されていますが、これは、親鸞聖人が変わらない幸せになられた
歓喜のお言葉です。
このお言葉の意味は、
〝親鸞、無量寿如来に救われたぞ、不可思議光に親鸞助けられたぞ〟
ということです。
この、無量寿如来や不可思議光というのは、どちらも阿弥陀仏という仏様の別名です。
親鸞聖人の教えのとおりに進んでいくと、必ず生きている今、
変わらない幸せになれるのです。