親鸞さまの胸キュン指南

親鸞聖人が明らかにされた驚きの真実がここにあります。

決して崩れないもの

 

浄土真宗の開祖、親鸞聖人は、
4歳でお父様を亡くされ、8歳でお母様と死別されました。

そのことが縁となって、
自分も死んだらどうなるのかと悩み苦しまれ、
9歳で出家されました。

その後、比叡山で20年間、厳しい修行に励まれ、
何とかご自身の暗い心、死んだらどうなるのかの大問題を解決したいと
そのこと一つにすべてを懸けられたのです。

そして、真実の仏教に巡りあい、永遠に変わらない幸せの身になられました。
長い間、ずっと求めてきたものが、ようやく求まった時の喜びは
どれほどのものなのでしょうか?

 

それが、親鸞聖人の主著「教行信証」に書かれています。

 慶しきかな。
 心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。
 深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。

 
弘誓というのは、阿弥陀仏という仏様の本願(お約束)のことです。
仏地というのは、阿弥陀仏の本願の大地ということです。
念というのは、心のことで、
難思というのは、不可称不可説不可思議ということです。
これは、言うことも説くことも想像もできないということです。
如来の矜哀というのは、阿弥陀如来大慈悲のことです。
師教というのは、阿弥陀如来大慈悲を正しく伝えてくだされた高僧方のことで
恩厚というのは、ご恩のことです。

ですから、このお言葉は、
親鸞阿弥陀仏の本願に救われたぞ、
決して崩れることのない、阿弥陀仏の本願の大地に心を樹て、
不可思議の世界に生かされたのだ。
阿弥陀如来大慈悲を深く知らされ、それを伝えてくだされた高僧方の
ご恩を感じずにおれない。

という永遠の幸せに生かされた喜びが綴られています。

 

では、教行信証は、聖人の喜びを綴るために書かれたのかというと
そうではありません。

教行信証の先ほどのお言葉の続きには、このように書かれてあります。

 これによりて、真宗の詮を鈔し、浄土の要をひろう。
 唯仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲りを恥じず。
 若しこの書を見聞せん者は、信順を因と為し、
 疑謗を縁と為し、信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さん。
                    (教行信証後序)

このお言葉は、
阿弥陀如来のご恩を思えば、世間の人の非難攻撃は、ものの数ではない。
この書を読む人には、信ずる人もあるだろう、謗る人もあるだろう。
それを因縁として、阿弥陀如来に救われ、
変わらない幸せになってもらいたい。
ということです。

このように、親鸞聖人は、阿弥陀如来の救いに遇われた
大きな喜びとともに、他の人にも本当の幸せになってもらいたいと
仏教の正しい教えを教行信証に書き残されたのです。

 


ハッピーエンドのために(幸せになる方法)