親鸞さまの胸キュン指南

親鸞聖人が明らかにされた驚きの真実がここにあります。

私たちの人生の意味とは?

今から800年前、親鸞聖人はすべての人が本当の幸せになれる道を
教えていかれました。

その教えについては、親鸞聖人ご自身も多くの著作に残されていますが、
唯円というお弟子が書いた親鸞聖人のお言葉をまとめたものを
歎異抄といいます。

その歎異抄の最初には、こう書かれています。

 「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」
 と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、
 すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。
                  (歎異抄第1章)

弥陀の誓願というのは、阿弥陀仏という仏様の誓願、お約束ということです。
阿弥陀仏は、すべての人を変わらない幸福にしてみせる、
というお約束をされています。

その阿弥陀仏という仏様は、大宇宙のすべての仏方の先生の仏様なので、
他の仏様と比べものにならないほどのお力をお持ちですから、
不思議と言われています。

往生とは、死んだ後、阿弥陀仏極楽浄土へ往って仏に生まれるということです。
阿弥陀仏の救いは、死んでからのものではありません。
阿弥陀仏のお約束には、死後のことがハッキリするお力がありますので、
生きている時に、往生できるとハッキリします。
生きている今、変わらない幸福の身にさせていただき、
死ねば極楽浄土へ往って仏に生まれることになるのです。

信じて、というのは、世間で使われる信じるとは違います。
往生できるとハッキリする、ということです。

摂取不捨の利益というのは、変わらない幸福のことです。
摂取とは、逃げ回っている者を追いかけて追いつめて、
ガシッとおさめ取ってくだされるということです。
永遠に変わらない、決して捨てられないということです。

ですから、この歎異抄第1章のこの部分は、
阿弥陀仏のお約束通りに助けていただいて、往生できると明らかになり、
念仏称えようと思い立ったその時、
永遠に変わらない幸福にしていただくのである
ということです。

私たちは、未来の明暗によって、現在の心が決まります。
命に関わる手術を1週間後に控えていれば、何をしていても
心は暗いままです。
それと同じように、私たちは死んだらどうなるかは分かりません。
分からないということは暗いということです。
しかも命はいつまで続くか分かりません。
だから何をやっても満たされず、何となく虚しい感じがするのです。

その暗い心を明るい心に変えてくだされるのが、阿弥陀仏のお約束のお力です。
私たちは、阿弥陀仏のお約束通りに変わらない幸福になることが
この人生の意味であり、私たちの生きる目的なのです。

 

 


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