求めれば必ず辿りつける世界
先日、図書館に行った時、土曜日にも関わらず、
高校生がたくさん居ました。
来月には大学のセンター試験があるからでしょうか。
大学受験が終われば、就活のための勉強が始まり、
社会人になれば、資格試験や仕事の関係の勉強があり、
どれだけやっても、勉強には終わりがありません。
“死ぬまで求道”という言葉がありますが
求めているものが求まらない状態は苦しみでしかありませんよね。
求めるのは不満があるからで、求まったという時に
初めて喜べるのだと思います。
仕事やプライベートで、色々と目標を立てて、それに向かって努力すると
その目標を達成できることがありますが、喜びは続きません。
だからこそ、また別の目標を立てて、別のものを求めようとします。
これは求めるものが変わるだけで、同じことを繰り返しているだけなので
ずっと不満な感じはなくならず、その時その時を生きているだけの人生と
なってしまいます。
こんなことを続けていると、何となく虚しくなってきませんか?
求めていたものが求まったということがあるのです。
親鸞聖人が尊敬されている高僧方の教えを紹介されたご和讃を
高僧和讃と言いますが、その中の一首に
真心徹到する人は 金剛心なりければ
三品の懺悔する人と ひとしと宗師はのたまえり
とあります。
真心とは真実の信心ということで、この信心の特徴として
徹到と言われ、完成があるということです。
仏教に説かれる信心には必ず完成があるのです。