正しい信心ってどんなもの?
「信心」という言葉から連想するのは、
熱心で危ない雰囲気の漂う宗教団体かもしれません。
ですが、信心といっても色々あります。
神や仏を信じるのも信心ですが、
それ以外のものでも、その人が心の支えとして信じていれば、
それがその人の信心です。
今から約800年前にお生まれになられた、浄土真宗の親鸞聖人は、
正しい信心の特徴を教えていかれました。
こう言うと、信心が人それぞれなら、正しいも間違っているもないでしょ、
と思われるかもしれません。
ですが、正しい信心でないと、私たちは本当の幸せにはなれないのです。
私たちが信じているものは、
例えば、お金や財産、夫や妻、親や子ども等ですが、
これらは、ずっと変わらないものではありません。
お金の価値も変わりますし、
詐欺にあって大損するかもしれません。
家族もいつ事故に遭うか分からないし、
がんや脳梗塞といった病気になるかもしれません。
仏教で、諸行無常と教えられているとおり、
すべてのものは無常で、この世にずっと続くものはありません。
ですから、一時的に幸せだと感じても長くは続かないのです。
そして、信じていたものに裏切られた時、苦しんだり悲しんだりします。
続かないものを信じている限り、やがて必ず裏切られて
苦しむことになります。
それで、親鸞聖人は、絶対に裏切らない信心を教えられたのです。
その正しい信心はどんな人にいただけるのでしょうか?
正しい信心は蓮の花にたとえて教えられます。
その特徴は5つあるのですが、その1つ目が
「淤泥不染(おでいふぜん)の徳」
といいます。
淤泥というのは、泥田のことです。
誰でも、そんな汚らしい泥田に咲きたいとは思いません。
綺麗な場所に咲きたいと思います。
それは、
「自分は汚らしい場所に咲くようなお粗末な者ではない」
と思っているからです。
ですが、そんな綺麗な場所には蓮の花は咲かないのです。
蓮の花はドロドロの泥田に咲きます。
ですから、本当の自分というものを知らされた人、
自分は悪ばかり造っている者だと知らされた人の心の中に咲きます。
本当の自分が知らされるには真実の教えを聞くしかありません。
真実の教えとは、いつでもどこでも変わらない真理のことです。
その大宇宙の真理に照らされてはじめて、本当の自分のすがたが見えてくるのです。
それ一つを生涯かけて教えていかれたのが親鸞聖人なのです。